世界は言葉でできている

以前の記事で、

「コンクールで1位になった技術力の高い演奏と、
今日、サックスを始めてつたないながらもなんとか『キラキラ星』が吹けた演奏は、
同じレベルで尊く、愛すべき音楽です。」

と書きました。

こちらの記事↓
http://xn--pckln2b.biz/l9r1

お便りメールの中で『この言葉に励まされた』と嬉しい言葉を頂きましたが
本当は、まだまだこの言葉を信じ切れていないのではないでしょうか?

「自分の音楽に価値がある?もちろん、こんな風に思いたい。でも…」
という様な心境だと思います。

なぜこんな風に思ってしまうのかを尋ねると

「自分の音楽に自信がない。」

という答えが返ってきます。

「隣の芝生は青く見える」と言うことわざもありますが、
どうしても他人の演奏がよく聴こえてしまい、自分と比較してしまう。
自分の演奏なんてまだまだ…なんて思ってしまいます。

その気持ちは、とてもよくわかります。
僕も同じですから(笑)だって人間だもん。

自分に自信を持つにはどうすればいいのか?
と言う問いに、自己啓発の世界では

プラス思考になりなさい…とか
自分の成功しているイメージを持って行動する…とか

いろいろ言われています。

もちろん、それらは間違いではないと思いますし
100%正しいと思うのですが、僕はそれだけでは弱いと思います。

こういった思考は、モチベーションを上げるカンフル剤としては、
役に立つと思うのですが、根本原因の解決ではないと思っています。

いろいな角度で原因を深く掘っていけば、行き着く先は

表現する事への考え方
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に原因があるのではないかと思うのです。

この表現する事への考え方を変える事ができれば
自分の音楽に価値がないとか、自信がないとかすら考えるどころではなく
自分自身が表現する事に意義を感じ、音楽をすることが楽しくなる…。と思います。

あなた自身が音楽で『表現』していくことの意味合いについては、
このtataのサックス講座の中でも、かなり言及していますね。

音楽を含む芸術は、表現活動です。
表現というは、『内部にあったものを外部へ出す』という意味です。

自分の中にあるモヤモヤしたものや、うまく言葉にならないものでも
なんとか外に出していく作業のこと。これが表現活動です。

さらにアーティストというと、
創造する、好き勝手やっている、自己表現を大切にしている、
他人とどこか違う……変態?(笑)

などというイメージがあると思います。

これらの断片から、音楽表現をすることは、

・自分の内部にあったものを外部に出す

と言う事に加えて、

・新しいもの(他にはない特有のもの)を創造する

と言う側面が浮き彫りになります。

まぁ、僕達は作曲をしているわけではないので、
創造するというイメージからは少しかけ離れていると思いますが、
作曲家が作った曲を演奏することによって、
実際にその世界を具体化するという仕事を担っています。

さらに、以前のお配りした動画講座の『楽譜入門解説書』でも少し触れましたが
楽譜という暗号から読み取れる情報と実際の音楽との間には、
遊びの部分があります。

例えば、フォルテと書いていても、
それは絶対的な数値を示しているわけではなく
音量、ニュアンス、発音、周りの音とのバランス…
すべての要素の度合いは、自分が感じたままに演奏しなければなりません。

この事を別の角度から言うと、
楽譜というシステムに込められる情報量は、限界があるということです。

という事は、楽譜に書いてある以上のことは、
演奏者にその「解釈」が委ねられているということです。

つまり、その曲の何割かは演奏者が創造しているということになります。
アドリブしちゃうなんて事になると、その割合がもっと強いと言えますね。

そもそも論として、
偉大な作曲家がどんなすばらしい曲を書いたとしても
僕達が音を出さなければ、それは絵に描いた餅。音楽にはなりません。

音楽を聴いている人にとって、
実際に音楽の世界を創っているのは、まぎれもなく僕達です。

創造するというと一般的には、
何もないところから全く新しい何かを生み出すイメージかと思います。

僕はどちらかというと、
全体から切り取ることによって、
新しい断面の世界が創られるというイメージを持っています。

写真なんかがわかり易いんじゃないですかね。
写真は、連続した全体の世界から一瞬を捉え、切り取るものですよね。
それによって、新しい世界を創造しています。

世界を創るというと

「tataはいつも大袈裟な事を言うよな〜!」

と思うかもしれません。

でも、これは音楽とか芸術とか以前の問題で、
自分の内側から外側へ出した瞬間から、
それは言葉であれ、音楽であれ、表現となり新しい世界を創っていると言えます。

では、具体例を上げてみましょう。
今から僕があなたの世界に言葉によって新しい世界を創ってみせます。

「犬」という言葉がありますね。

数ある動物の中で僕達が「犬」を認知できるのは
「犬」という言葉があるからです。

こう言われると「そんなものなのかな〜?」と実感が湧かないと思います。
では、もうちょっと細分化していきましょう。

犬には様々な品種がありますね。

・柴犬
・チワワ
・ブルドッグ

これらの名前を聞いて、
具体的にどんな犬なのかをなんとなくでも想像できると思います。

これらは「犬」という抽象概念から
さらに細分化して具体的な犬の品種を認知しています。

チワワと柴犬という言葉による分節があるからこそ
チワワの世界、柴犬の世界が区分けして認識できます。

恐らく、それらの言葉を知らないと
「犬」という混沌とした世界の中で
チワワも「犬」としか認識できないでしょう。

では、あなたは

カーランド・ピーグル

という犬の品種は聞いたことがありますか?
恐らく、はじめて聞いた品種だと思います。

今、あなたは「カーランド・ピーグル」という言葉を知る事により
「犬」という混沌した世界の中から
「カーランド・ピーグル」という世界が切り取られて
あなたの中にはなかった新しい世界が創設されたという事になります。

どうですが?言葉の分節化によって、
新しい世界を創造するという事が何となくわかりましたか?

先ほど、僕は

「創造することは全体から切り取ることによって、
新しい断面の世界が創られる」

と言いました。

まさに言葉は分節化することによって世界を創っていると言えます。

音楽には言葉がありませんが
記号論の前提では、言葉がない音楽や絵画、写真などは、
文字ではない『テクスト』を読んでいるということになります。

人は言葉(アートを含む表現)によって、その世界を認知することができる。

そういう意味で僕達は、言葉であれ、音楽であれ、絵画であれ、
自分の内側から外側へ出たものは、
すべて『表現』であり、何かしら、この混沌としている全体から
新しい世界を創っているということになります。

あなたが創る世界。あなたが切り取る世界。

あなたが表現をしていくことは、
自分の生きてきた証(切り取った世界)を
他人と共有し、残すことを意味しています。

それは、あなたが生きてきた
ストーリーそのものを語ることそのものだと思うのです。

このストーリーを語ることができるのは、あなたしかいません。

例え、誰かと同じ経験を共有しても
語る人が変われば、そのストーリーは全く別の物語です。

例えば、長年つれそった老夫婦がいるとします。
ふたりで縁側に座り、一緒に共有してきた時間や場所、過去の想い出を
振り返ってみました。

二人の出会い、結婚、 出産 、いっしょに行った旅行、何度も顔を会わせる朝。
辛かったこと。嬉しかったこと。

それは、ひとつの物語を一緒に作っているかの様に思います。

でも、夫から語られるストーリー。妻から語られるストーリー。
それは、全く一緒の物語でしょうか?

ストーリーは人の数だけ存在します。
そして、同じ時間や経験を共有しただけでは、
必ずしも同じストーリーを共有できるとは限りません。

だからこそ、僕たちは『表現』することによって、
そして、相手の『表現』を受け入れることによって、
同じストーリーを共有しようとしているのです。

もし、 あなたが語らなければ、
あなたのストーリーはこの世界から無くなってしまいます。

表現することから逃げないでください。
ぜひ、 あなたのストーリーを聴かせてください。

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